安彦さんは「機動戦士ガンダム」のTV版および劇場版でアニメーションディレクター、キャラクターデザイン、作画監督を務め、板野さんは「超時空要塞マクロス」シリーズなどで“板野サーカス”と呼ばれる軽快なメカアクションを生みだし、日本のメカ・ロボットアニメに多大な影響を与えた人物である。板野さんは「機動戦士ガンダム」の制作にも参加しており、2人はいわば師弟のような間柄。トークショーで2人は制作当時を懐かしく思い出しながら、現場で労苦をともにした人のみが知る秘話を語ってくれた。
当時「機動戦士ガンダム」を制作していたサンライズ第1スタジオは半分地下にあるような、光も届かないところだったそう。「朝なのか昼なのか夜なのかもわからない、奈落みたいな所だった」と語る板野さんは、そのときはまだまだ新人。家族が待っている安彦さんや富野監督は電車がある時間に帰っていたが、板野さんは帰れない日も多かった。
板野: | すごく印象に残っているのはTV第28話『大西洋、血に染めて』。 ミハルの回で、富野さんが絵コンテを切り終わって、安彦さんのところに絵コンテを持っていって、安彦さんが読み終わると2人とも男泣きしているんですよ。 大の大人が目を潤ませながら『いい回だねぇ』『この回は頑張ろうね!』とか言い合っていた。いい年した大人が何をやっているのかな?と思って、2人が帰った後にこっそり絵コンテを読むと、やっぱり泣けてくるんですよ(笑)。 この人たちは本当に作品にのめり込んで、新しいものをつくりだそうとしていた。 子供向けのストーリーではなくて、戦争の渦中に弱い者が巻き込まれて死んでいく、そこを一生懸命ちゃんと描こうとされてましたね。 |
氷川: | 第28話の作画監督はクレジット上だと安彦さんではないんですよね。 そういうのも安彦さんが見ていらしたんですか? |
安彦: | ミハルのシーンもそうだし、アムロの親父が出てくるのとアムロとララァが出会うシーンもそうなんだけど、話数的には僕の作監ではなかったんですよ。 絵コンテを読んで、自分の作画監督から外れていた回であっても、大事なシーンで自分がものすごく気になるところだったら、そこは僕に回してと。それはアニメーション・ディレクターの特権ですね。 絵コンテを読むとね、もう自分でやりたくしょうがなくなるわけですよ。いい話だなぁと。でも自分の能力にも限界があるから、ほかは泣く泣く……。 |
氷川: | アニメーション・ディレクターは今で言う、総作画監督的なことも含んでいたわけですね。 |
誰がどの話数の作画監督を担当していたのか調べるのが、ファンにとってはマニアックな楽しみ方のひとつ。だが、安彦さんのコメントのとおり現場はそんな単純なものでもないらしい。気になる方は8月28日(水)に発売されるBlu-rayメモリアルボックスでカットごとに確認してもらうのもいいかもしれない。
さらにTV版制作の後半に安彦さんが入院してしまった際に、残った板野さんらスタッフが死にものぐるいでやりきった話や、板野さんが「マクロス」で初めて“メカ作画監督”とクレジットされることになったエピソード、のちに「マクロス」に参加する美樹本晴彦さん、河森正治さんらが素人時代に「ガンダム」の同人誌を描いていた逸話など、トークは多岐にわたった。
最後に今回の企画展と原画集について2人は次のような感想を述べていた。
板野: | 本当に庵野君と氷川さんに感謝してます。 『ガンダム』は国民的アニメに成長していて、まだ読み書きができない赤ん坊以外は『ガンダム』を知っていると思うんですね。その原点を誰がつくりあげたのか。富野さんと安彦さんが中心となって支えていたことを記した資料、歴史をこうして一冊にまとめてくださったのは、本当にありがたいですね。 |
安彦: | 『ガンダム』をつくっていた時代は、ディテールを省くことが至上命題だった。アニメーターにはキャラもメカも描けるオールマイティーさが要求されていて、ある種アバウトでよかった。そういう時代っていうのは、けっこういいと思ってんだけどね。そのアバウトだった時代の表現として、この本は記録になると思うんです。 アバウトというのは日本のアニメーションにとって、とても大事な要素になるんじゃないか。今はスペシャルな仕事の集積になって、作画の密度は上がってしまっている。それが全般的に業界でクオリティーと呼ばれているらしいけど、日本のアニメーションはもともとクオリティーで勝負していないというのが僕の持論なんです。 それがいつの間にか『クオリティーが高い』と、事情も何も知らない世間の人がおだてるようになって、業界もおだてに乗ってクオリティーを維持しなければと、どんどん仕事を細分化してしまっている。それはおそらく間違っていると思うんですね。そうやって自分の首をしめてしまっているんじゃないのか? そういうところで勝負したらむしろ逆に世界のマーケットで勝てないと思うよと、僕は気がしているんだけれども。 基本はアバウトにやり過ごしつつも、あるときはゲリラ的にマインドを込めてやっていたわけですよ。それが『ガンダム』の原点だった、ということを知ってほしいし、こういう乏しい資料を元にまた現役の人にアバウトにつくってもらいたいですね。 |
氷川: | 原画集はネットでの評判もすごくよくて、業界の方々にも買っていただいていて、それが望外の喜びですね。安彦さんの情熱や原点は読んでくださった皆さんにもちゃんと伝わったと思います。 |
板野: | 安彦さんはご自身の仕事をアバウトとおっしゃってますが、人間たちの目力とか、感性の豊かさといったものが全部レイアウトに描かれている。そこを今の若い新人アニメーターに僕は教えてますね。 |
7月26日(金)には、ガンダムフロント東京スペシャルナイト第3弾として、原画集の責任編集を担当した庵野秀明さんと氷川竜介さんのトークショーを開催。その模様もレポート予定! お楽しみに!!
トークが行なわれたのはガンダムフロント東京内のエクスペリエンス・ゾーン。コア・ファイターやア・バオア・クーの巨大模型を背に、安彦さんと板野さんが当時の思い出を語っていった。
『ガンダム』がヒットしたときに、喫茶店で富野さんが『ガンダムで10年食いたいんだと』と言ったんですよ。ものすごく生臭い話で申し訳ないけど(笑)。
そのとき僕はかなりはったりを交えて『安心してよ、たぶん10年は大丈夫だよ』と言ったんですよ。それがまさか30年以上経って、今、こんな昔話ができるというのもとても幸せなことだと思います。
その幸せに関しては十分に感謝しつつ、夢をもう一度なんてことはまったく考えておりません。おそらく富野由悠季もそうだと思います。そういうスタンスで日本のクリエイターは仕事をしていると、知っておいてほしいなと思います。あるいはそれを言い返せば一種の“男気”だと思うわけです。それが世界で通用する原点、生命線だと思います(安彦)
そのとき僕はかなりはったりを交えて『安心してよ、たぶん10年は大丈夫だよ』と言ったんですよ。それがまさか30年以上経って、今、こんな昔話ができるというのもとても幸せなことだと思います。
その幸せに関しては十分に感謝しつつ、夢をもう一度なんてことはまったく考えておりません。おそらく富野由悠季もそうだと思います。そういうスタンスで日本のクリエイターは仕事をしていると、知っておいてほしいなと思います。あるいはそれを言い返せば一種の“男気”だと思うわけです。それが世界で通用する原点、生命線だと思います(安彦)
当時の1スタは、町工場的なファミリーっぽさがありました。プロフェッショナルじゃなくて、ホワイトベースのクルーっぽいんですね。アムロとブライトがいるだけで、あとはみんな素人みたいな。
エリートのアニメーターがたくさんいるんじゃなくて、安彦さんがひとりで奮闘しながら僕みたいな新人たちを育ててくれていました(板野)
エリートのアニメーターがたくさんいるんじゃなくて、安彦さんがひとりで奮闘しながら僕みたいな新人たちを育ててくれていました(板野)
アニメーターが生みだす力、イマジネーションあるいは届けたい心みたいなものが原画に集約されている。そのいちばんわかりやすい例として、安彦さんのお仕事をまとめさせていただきました。
一度こういう本にしておけば、100年、200年残るものになるんじゃないかと思いますし、それを支えてくださるのは皆さんの愛情だと思います。
これをきっかけに“ガンダムの魂”が長く語り継がれていければと思っています。今日はどうもありがとうございました(氷川)
一度こういう本にしておけば、100年、200年残るものになるんじゃないかと思いますし、それを支えてくださるのは皆さんの愛情だと思います。
これをきっかけに“ガンダムの魂”が長く語り継がれていければと思っています。今日はどうもありがとうございました(氷川)
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